「善知鳥」 二

「善知鳥(うとう)」

五月十九日の午前十一時過ぎ、春日山の遊歩道は新緑の瑞々しい木洩れ日に鮮やかな濃淡の模様を描き、朝方冷たく感じられた風も眠気を誘う生温いものとなっていた。柵向こうの公園の芝生に寝そべる数頭の鹿の目も半分閉じかけている。今朝、椋二が急に墓参りを思い立ち、白毫寺びゃくごうじの南にある寺山霊苑へ向かったのは、ただ五月晴れの空の下を歩きたいという気分に従っただけのことだった。祖父の家で丸一日一人、遺品整理に閉じ籠もっていた身体的、精神的な疲労がそうさせた。

奈良盆地の東南部、春日山の南に連なる高円山たかまどやまの山麓にある公営墓地に黒田家の墓はあり、十八年前に亡くなった祖母もそこに眠っていた。深緑に囲まれた霊苑は、平日の午前ということもあり閑散としていた。椋二の他に参拝者は居らず、昔と変わらず建つ掘立小屋のような管理棟の開け放しの戸口から、パイプ椅子に腰掛けて居眠りをする管理人とおぼしき爺の姿が見えた。傍らの置き型テレビからはNHKの国会中継がその場にそぐわない音量で流れていた。椋二は管理棟の前に設置された竹垣に掛かった、某家と書かれたバケツと柄杓を適当に取り、水を汲んで自家の墓のある区画へ向かった。一般的な和型石碑の黒田家の墓は、玉砂利の隙間から生い茂る雑草が墓石の下台にまで伸び、野趣溢れる風体を晒していた。花立てや水鉢には濁った雨水が溜まり、横倒しとなった香立てから線香の残り滓が零れていた。椋二は香立てを簡単に注ぎ洗うと、屈んで玉砂利の雑草を毟り始めた。

静かだった。上空を飛ぶ供え物を狙ったカラスの羽ばたく音や、供花を食い荒らす鹿の玉砂利を踏み鳴らす音、山風の吹き下ろす音を聞くともなく聞きながら草を毟っていると、段々と夢中になり時間を忘れた。粗方雑草を除き、掘り返されて土の混じった玉砂利を適当に踏み均し、バケツの水を空けた。線香も花も持って来なかったため、数本の煙草に火を付けて香立てに入れた。苔や水垢で黒緑色に濁った家名の前を白い煙が立ち昇った。この石の下に、祖父はいないのだと思うと小さな笑いが込み上げてきた。

十八年ぶりの墓参りを済ませたが、しばらくはこの人気のない緑の中に身を置きたくなり、椋二は高畑町のバス停から白毫寺の参道沿いを通った行きとは違う、何もない山道の帰路を選んだ。霊苑を出て東の奈良公園の方面に通じる山道を延々と歩き進め、春日山遊歩道に出た頃には日は高くなっていた。目を射抜く眩しさに覚めたような心地がした。微かに残る記憶と目の前の現実が入り混じる風景を歩いていたひと時が、振り返れば一瞬のようにも長い歳月旅に出ていたような久方ぶりにも感じられ、椋二はいささか呆けた。

奈良公園の南端を沿う道路は緩やかな坂となっており、市街地方面へ西に下って行くに従い、民家の土塀の間に古民家の蕎麦処や今風のカフェテラスが軒を連ね、昼時の賑わいを見せていた。高畑町の交差点まで歩き、朝から何も食べていなかった椋二はようやく空腹を覚え、交差点をすぐ左手に曲がった県道沿いに建つ老舗の蕎麦屋に入り、伊万里焼きの皿に盛られた二八蕎麦を食べた。小学生の時に一度墓参りの帰りに祖父母と入った蕎麦屋は、当時抱いた印象とだいたい同じ雰囲気を留めていた。壁や柱、テーブルとイス全て黒で統一された薄暗い店内の、頭上高く備え付けられた四方の壁一面の棚に、夥しい枚数の古伊万里のコレクションが整然と並んでいて、椋二はこの瞬間地震が起これば大量の瀬戸物の下敷きになって死ぬなと考えながら蕎麦を食べた子供の頃と同様の感想を持ったが、向かい合って蕎麦を啜っていたはずの祖父母の顔ははっきりとした輪郭を持たなかった。後から来た観光客らしい若い女の三人組は、蕎麦の注文よりも先に各々のスマートフォンを掲げて、頭上を囲む古伊万里の棚を撮り始めた。婦人会の会合か何かの和装の団体も入って来たため、店内は途端賑やかになった。薄暗さを一瞬で吹き飛ばす女達の姦しい声に、もともと覚束無い祖父母の顔もまた吹き飛んでいった。

三日前の五月十六日の朝、奈良坂町会役員を名乗る年配の女からの電話で祖父の死を知らされた椋二は、およそ十五年ぶりの実家への帰路に着いたのだが、その結論に至るまでの逡巡は単に、親代わりの祖父母を見捨てて生きてきた後ろめたさゆえ、という訳でもなかった。祖父母への不実は生まれてから今まで年経るごとに積み重ねられてきたものであり、もはやあまりにも高くなり過ぎた不実の塔を、ただ見上げることすら億劫となってきた近頃、祖父の死の現実ひとつを見たところで自分の内に生じる悔恨や苦悶の渦が増えたり減ったりすることもないだろうという不遜が淡々と椋二を動かした一方で、もうひとつ聳え立つ塔の影が故郷へ向かう足取りを重くした。

空路を使えば三時間半ほどで辿り着く故郷の土地は、これまでの間、椋二には地球の裏側のように遠い場所であった。六年ほど前、身ひとつで逃げるように陸路を辿って北へと向かった往路のせいか、伊丹空港から私鉄を何度か乗り継いで近鉄奈良駅の噴水前広場に出た時、その風景の時が止まったような変わらなさに、あっという間に着いたという呆気なさに、現実感を失くして立ち尽くした自分を心底滑稽だと思った。

祖父は自宅で一人、息を引き取った。亨年七十九、死因は急性心筋梗塞による心破裂だった。いわゆる独居老人の孤独死という最期であったが、祖父はまだ恵まれていた。長年暮らした住居であること、少数ながらも定期的に交流する人間がいたことが幸いしてその発見は早く、腐敗を免れ清められた亡骸は綺麗であった。祖父は生前、町内会の催しで受講した終活セミナーの影響で、エンディングノートなるものを書き留めていた。そこには申込済みの葬儀会社の名前と連絡先、様式、費用、埋葬の方法などが細やかに書かれていた。祖父が選んだ葬式は、小さな火葬式という名のもので、納棺後、通常あるべき通夜式や告別式をとばして翌日火葬するという、密葬よりも更に簡素な式だった。午後六時半に奈良駅に着き、祖父の家へ直行した椋二は、中学生の頃まで暮らした古い二階建ての長屋の家の古畳の上に安置された、真っ白な仏衣を纏った祖父と対面をした。付添の町内会の中年女性に促されて顔を拝み、記憶よりもずっと多い白髪と、深く刻まれた皺を均すように塗られた白粉によって別人のように白くなった祖父を見つめ、ただその静謐さに圧された。「苦しかったやろうに、綺麗な顔してはるわ」と、女性は得意げに、親しげに語った。傍らの経机には簡素な仏具一式、日本酒の小瓶一本と祖父が使っていただろう茶渋の付いた湯飲みが置かれていた。中学で煙草を覚えた椋二に、祖父が「やめとけ」と一言だけ言って背を向けて煙草を吸い始めた時のことを思い出し、湯飲みの横に半分減った煙草の箱を置いた。所在なく座ったまま煙草を一本手に取り、吸わずに弄っていると、葬儀会社の男がやって来て、明日の納棺と火葬の式次第を丁寧に説明した。最後に遺品整理の話になり、処分に困るものは引き取って供養する案内を受け、知らず椋二は狭い家を見回していた。家にあったはずの小さい仏壇がなかった。台所を占拠していたダイニングテーブルもない。切れかけの蛍光灯が薄ぼんやりと照らす家の中を見渡すうち、色々な物が無くなっていることに気付き、祖父が死ぬ前にひとつずつ片付けていく様子が浮かんだ。

弔問に大家の爺さんをはじめとした町内会の人間や、釣り仲間だったという友人ら数人が訪れ、少し故人の話をしては帰っていった。大家の酒井だけは、一度昼間に訪れているのか、祖父の顔を見ようともせず、ただ椋二と膝を突き合わせて「よう帰ってきたなあ、今は何してんのや」などと訊き、持ち込んだワンカップを三本空け、最後まで居座っていた。祖父の家の電話帳に張ってあった古い伝票の電話番号を見つけたのは大家の酒井であり、椋二に連絡をした町内会の女性は酒井の義理の娘にあたる女性で、「椋二さんが間に合わなければお義父さん、自分が泊まる言いはるから、これ、用意しとけ言われて」と持参したボストンバッグを叩いて笑い、「やっぱり身内に居てもらうんがええもんねえ、良かったねえ皓太郎こうたろうさん」と祖父に向かって言った。爺さんは「そらそうや、そんなんわしかて分かっとるわ。でも北海道やぞ、北海道いうたらわしらにとったら外国みたいなもんやがな。そんな遠いとっからすぐ来られんのかて心配になるやろ」と赤い顔をくしゃくしゃにして笑った。目尻には汗粒のような涙が浮かんでいた。椋二は自分の二歳から中学生の頃までの生活が確かにあった家の六畳の居間で一人、ただ身の置きどころのなさを感じ、弄っていた煙草に火を付けた。

遺骨は故人の希望により海洋散骨の手筈が葬儀会社によって整えられていた。仏壇を処分し、妻や母親、祖父母の位牌を永代供養の寺に託した祖父は、先祖や妻と同じ墓で眠ることを拒んだ。翌日の火葬後、炉前ホールの隣にあるロビーで散骨の場所や日取り、出港の連絡などの説明を受ける間、椋二の額の裏には、見慣れた函館の暗く蒼い海に白い雪のような骨の粒子が降る様が描かれ、葬儀会社のスタッフの白い手袋を嵌めた手によって丁重に扱われる骨壷の祖父を何となく羨ましく感じた。それは昨日、祖父の亡骸と対面した時と同様に、圧倒的な静謐さを得た祖父と自分との相違がさせたもののように感じた。

蕎麦屋を出てそのまま北に、東大寺南大門に通じる県道沿いを歩く。春日大社境内の飛火野の芝原に入ると沿道を歩く人も一気に増え、蒸し暑さの中に湿った芝生や鹿の糞の独特の臭気が立った。大仏殿前の交差点付近の雑踏を抜け、駅前の噴水広場へと出る公園沿いの坂をゆっくりと下った。国立博物館を過ぎ、国道369号線が走る県庁東交差点下の登大路地下歩道を通ると、反対側から中学生くらいの団体がやって来た。見るからに暑そうな学ランと濃紺のセーラー服の集団が通り過ぎていき、椋二は薄暗いトンネル内に籠った汗の饐えた臭いに思わず眉を顰め、かつてあの熱狂と喧騒の渦に居た時分を思い出したが、その時ふと鮮やかに瞼を過ぎっていったものは、中学時代の自分や学友の姿でもなく、幾度となく想像を巡らせた、何年も会っていない息子の成長した姿でもなかった。思春期特有の汗や饐えた臭いとはほど遠くある、石膏のように冷たく、硬く、白い整った顔立ちをした少年の横顔だった。

近鉄奈良駅から青山住宅前行きのバスに乗り、県道754号線沿いの奈良坂町バス停で降りた椋二は、奈良坂を下ってすぐ右手、民家の土塀やブロック塀が押し合う小路に入った。軽自動車一台が辛うじて通れるほどの狭い小路の突き当たりを左に曲がると、青瓦の軒が連なる長屋に挟まれた路地があった。二階建ての三軒長屋が三棟ずつ並んで向かい合う砂利道の路地には、各々の家の玄関先を飾る植栽が野放図に生い茂り、隙間なく置かれたベゴニアやゼラニウム、百日草、松葉牡丹、アロエなどの鉢植えが玄関前の側溝の蓋にまで押し寄せていた。戸口を隠すように立て掛けられた簾に、台所の小窓の朽ちかけた木枠、棟の間にある物置の錆びたトタン、台所の排水の流れる側溝には生ごみの滓が苔に引っ掛かり留まっている。路地の突き当たりの空き地には壊れた自転車や三輪車、使い古された作業服やシーツなどが掛けられた物干し台、綿の飛び出た座布団の載った長椅子などが乱雑に置いてあり、二階の青瓦の屋根には、窓から干された布団が窮屈そうに垂れていた。すでに半分日陰となった昼下がりの路地は、昔と変わらず、節操のない緑の群がりと、倹しい生活の抜け殻に溢れ、この時間は静かな表の奈良坂の通りよりも一層静まり返っていた。

椋二は突き当りにある家の戸を開けた。膝の高さの上がり框と地続きの三畳間には、昨日の遺品整理で出た処分品などで足の踏み場がなかった。物がないように見えた祖父の家の押し入れやタンスには、確かに人間の生活の跡がしっかりと詰まっていて、安堵と同時に途方にも暮れた。処分に困るものは供養に出すと葬儀会社の男は言ったが、自分にはその判別がつかない。ダンボールやごみ袋を掻き分け、奥の六畳の居間に入ると、壁じゅうに染みついたヤニ臭さと線香の残り香、菊の花の匂いが漂っていた。その中に僅かに混じる死臭に気付き、椋二は自分が死臭というものを嗅ぎ取っていることに少し驚いた。それは吐き気を催すような悪臭などではなく、線香と生花に上手く調合され、ちょっと癖になるような饐えた臭いだった。六畳の和室はもともとあった小さい座卓と座椅子、サイドボード、20インチのテレビの他に、位牌や骨壷を載せた文机、果物や缶詰の盛り籠、供花の籠、二階から下ろした仕分け途中の荷物などで雑然とし、変色やささくれの目立つ畳に菊や百合、胡蝶蘭の花弁や葉が紙屑や埃とともに散っていた。場違いな印象の立派な供花は、路地の手前の筋に芝庭と竹林付きの日本家屋を構える酒井の爺さんが、弔問の夜に香典とともに置いていったものだった。昨夜の続きの古ダンボールに手を掛けた時、戸口を叩く音がし、「椋二、おるんか」と引き戸を開ける酒井のしゃがれた声がした。椋二が居間から顔だけ出すと、大柄の老人は三畳間のごみ山に足を取られたのか、壁に手を付いて傾いでいた。

「えらいようさん出て来よったなあ。こうさんそない物持ちやなかった思てたけど。長年住んでると知らず知らず溜まりよるんか」

「大丈夫っすか」

「息子に言うて、浄化センターに運んだるから、先にこいつら外に出したらどないや」

「はあ。でも、そこまでしてもらうんも」

「かまんかまん、どうせ暇やさかい。明日は土曜やから、月曜にでも持ってったらええやろ。向かいのおっさんがなんか言うてきよったら、わしがやった言うたらええ」

そう言うなり酒井はまた健康サンダルを引っ掛け、ごみ袋数個を掴んで戸口の外に放った。慌てて椋二も腰を上げ、重いダンボール箱や木製のラック、古い型の炊飯器や油汚れのこびり付いた電子レンジなどの家電製品を空き地まで運んだ。「これまだ使えるんちゃうか」と酒井が炊飯器を指差す。椋二は炊飯器の蓋を開けて内釜を酒井に見せた。

「コーティングがこんだけ剝がれてたら、あかん」

「ああ、ほんまや」

眉間の皺を更に増やして酒井は頷き、肥えた腹を揺すって家の中に入っていった。酒井が運んだごみ袋の一部が籐製の長椅子や三輪車に被さっているのを隅に置き直し、椋二も中へ入った。幾分すっきりとした三畳間を上がると、すぐ横の台所で手を洗う酒井がいた。台所の入口に掛かった玉簾たますだれの向こうで酒井は「貰いもんや。三笠饅頭食おう」と和菓子店の紙袋を掲げた。酒井は薬缶で湯を沸かし始め、ビニールクロスの掛かった小さな簡易テーブルに湯飲み茶碗を並べ、茶筒からスティック状の抹茶を出した。勝手知ったる他人の家とはこのことだと、居間に戻って眺めていた椋二は思った。祖父がこの長屋に住んでいた三十数年、同年輩の大家との間にどういう親交があったのか、椋二には分からない。長屋の路地で遊んでいる所を「ぼく、お菓子あげるから来いや」と手招きする姿や、正月、酒井家の広大な芝庭で行われる餅つきに参加した記憶はあったが、家に上がって寛ぐような付き合いはなかった。椋二は酒井の爺さんのまだ祖父が生きてここに居るかのような振る舞いに、祖母が死に、椋二も家を出て行った後、一人残った祖父がこの家で過ごした歳月の寂獏を見たような気がした。それは、擦り減った古畳や触れるだけで砂粒の零れ落ちる壁、箪笥の背面板にびっしりと生えた黴などよりも侘びしい気持ちにさせるものだった。

「ああ、そうや、これ、そこに転がっとったぞ」

三笠饅頭を頬張る手を止め、酒井は麻のスラックスのポケットから軟式野球ボールを取り出し、椋二に渡した。よく磨かれた白球は、黄色く濁った薄暗い部屋の中で見ると強列だった。目を射抜かれるような白さに顔を顰めた椋二に、酒井は「あれ、お前のとちゃうんかいな。昔よう、野球しとったやろ」と言って、ボールを再び手にした。

「それは、近所の子供のやつで、預かってるやつやから、返さな」

「そうかいな。てっきり、皓さんが取って置いとったやつやと」

「こんな綺麗なん、俺のやないっすよ。それに、そんなんいつまでも残してへんやろし」

椋二は酒井の勘違いがおかしかった。笑う椋二を訝しそうに見やる酒井に背を向け、先ほど開けたダンボールの中の化粧箱を取り出した。湿気を含みしんなりとした箱の中には年賀葉書や封筒などが入っていた。もう一つの箱にはアルバムや写真のネガの束、名所旧跡の小冊子が詰まっており、椋二は箱ごと燃えるごみの袋に放った。酒井がアルバムに気付いて何か言うかと後ろを見たが、爺さんは座卓の上にあった新聞を広げ、くちゃくちゃと咀嚼音を立てていた。椋二は座卓の灰皿とリモコンの隙間に置かれた、返す術のないボールも捨てようかと思った。

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